できれば ゆっくり 僕たちは 恋したい
ジャニオタがKnightsコンのセトリを考えてみたよ!
好きだよ?今日も
そうだよ覚悟はできた
「なんで好きなの?」
そう聞かれると言葉に詰まる。多くの人に魅力を知ってもらいたいけれど、うまく言葉にできない。確かなことは声が好きだということ、それだけ。好きになって早くも1年。未だ好きの理由が明確にならないまま、私は今日も渡辺くんを、SnowManを応援している。
少年たちでステージの1番前に立つ6人を見た。涙が溢れそうになるのを必死で堪えた。セリフは1人1人たくさんあったし、ソロパートもたくさん、オリジナル曲だってあった。今まで見ることができなかった前に誰もいない景色。それを見ることができる、大好きな大好きな歌声を聴くことができる。主演ってすごい。今必死になって文章に起こそうと頑張っているけど結局は、あの景色が美しかったと思い返すことしかできなかった。だって遮るものが何も無かったから。双眼鏡を構えなくても、舞台には6人しかいなかったから。本当に些細なこと、デビュー組担をしてる時ではまず気にも留めないことで、一回一回感動して心を揺さぶられた。
以前渡辺くんのことを声を奪われた人魚姫と称したことがある。*1私が唯一渡辺くんの好きなところ、と胸を張って主張できる要素。その声を聞く機会というのは、決して多くはなかった。それがどうだろう。今の渡辺くんはあの甲高くて突き抜ける声でセリフを紡ぐ。アリエルも顔負けの綺麗な声で、高らかに歌を歌う。たくさんたくさん渡辺くんの声を聞くことができた。「声を奪われた」なんてもう言わなくていいのだ。 ここに至るまでの「過程」を見ることが楽しいのかもしれない。
私が渡辺くんのことを好きになってからまだ1年ちょっと。でもどうだろう、この1年でSnowManと渡辺くんを取り巻く環境は目まぐるしく変化した。*2感覚でしかないけど、今本気でやってるなと目に見えてわかるようになったり、なんとなくデビューという単語を臆せず言えるようになってきたのかな、とか色んな変化や成長を感じられた。私は未だに某先輩が言った「渡辺には魅力がない」という言葉を根に持っていて、それは多分渡辺担をやっている限り付き纏う言葉なんだと思う。当時は割とそれに対して言い返せない自分がいてとても悔しく思っていた。今なら少しは言い返せる。物凄く不確かで、曖昧なものだけど、些細な一つ一つの変化、そこに至るまでの「過程」が魅力なのだと言いたい。魅力を一つ一つ見つけていける所が魅力なのだと。
渡辺くんを今度は空っぽの箱に例えてみる。始めは中に何も入っていない。それは、彼を見る度、彼のことを考える度に中身が増えていく。今回の主演舞台で、私はまた一つ好きという宝物を入れることができた。1年でたくさんたくさん箱の中に宝物を詰めたけれど、この箱は大きくて中々いっぱいになりそうにない。この箱がいっぱいになるまで、私は好きの欠片を集め続けたいのだ。箱をいっぱいにして満足するのなら、私は一生渡辺くんの魅力を言語化できなくていいとさえ思う。確かに言えるのは、この箱をいっぱいにしていく過程が楽しい、ということと、渡辺翔太は底なし沼のように魅力的だということだけだ。私の自担かっこいいでしょ。
次があるのかも分からないこの世界。この一歩が次の一歩に繋がりますよう、また新しい好きを箱に詰められますよう。願いを込めて。主演お疲れ様でした!
誰もが注目 お前に釘付け
「Hey!Say!JUMP LIVE TOUR 2015 JUMPing CARnival」初日の仙台に行きました。蒸し返すような暑さに肌は汗ばみ、服の中で汗が滴り落ちる感覚がよくわかるほど。初日ということもあってか、どこかみんな落ち着かない、ふわふわ浮き足立ったような空気感。
会場内に入る前からうすうす感じていたけれど、会場入りして周りを見ると、そこかしこに「涼介」「山田」「やまちゃん」などといったうちわを持つ人たちが目に付いた。山田担が多いということは、自分が山田担になる前から知っていた。しかしここまでとは。実際に、コンサートが始まってから彼に向けられる黄色い声の大きさというのは、尋常ではなかったと感じる。彼の一挙一動に少女たちは黄色い悲鳴を上げ、胸をときめかせていた。かくいう私も吐息交じりのスウィートアンサーに、この世のものとは思えない声を出したものである。
昔から戦隊ものではブルーが好きだった。仮面ライダーではもっぱら2号を応援していた。センターとかエースとか、いわゆる王道というものとはかけ離れた所に自分はいるつもりでいた。とは言っても、センターの人を好きになるのは初めてではない。好きな人がステージの真ん中で歌い踊る姿を見ると、少し誇らしい気持ちになるのも事実だ。でもやまちゃんの場合は、それが少し重荷に感じた。ブイ字のフォーメーションで一番前に立ち、少女たちの欲望を一身に浴びる自担を見るとなぜか心苦しくなった。そのあまりの絶対的な人気に、歓声に、彼の背負っているものを垣間見たような気がして、そのあまりの大きさにオタクである私が音を上げそうになったのである。こんなすごい人を応援していいのだろうか、というどこからか湧いてくる後ろめたさ。コンサートの最中だというのに帰りたくなったのは、初めてかもしれない。*1
エースというと絶対無敵、最強の存在、という自分の勝手なイメージが先行するが、コンサート中のやまちゃんはそれとは程遠かった。Puppy Booのステッキは、回転が他のメンバーより遅くてタイミングがずれているし、ヨワムシ★シューターの振りが曖昧で知念さんをちら見してるわ、愛よ(ryのスカーフはうまくポケットに入らずしまいには落とすし、アンコールでみんなが集まっている時に一人でふらふら歩いたり、なんだかすっとこどっこいな行動が目立った。なんだ、やまちゃんは完璧じゃないのか。ただの普通の*2男の子じゃない。と思ってからは気が楽になった。それにじゃんぷのメンバーからは、やまちゃんに対する僻みが感じられなかったのも大きかった。なんでお前だけが目立って…というよりは、山田はかっこいいからな~、ドラマや映画にすごいな!かっこいい!というなんとも温かい空気感。もちろんこの状態になるまで色々あっただろう。腹の底では、良しと思っていないメンバーもいるかもしれない。でも新規が見た限りでは、エースとメンバーの関係性は良好に見えた。なんなら俺もエースに続くぜ!という熱い心意気も感じ、全員が切磋琢磨して高めあっていていいな~なんて思った。極めつけは、4人で輪になりアイコンタクトを取りながら歌うセブンを見た時だ。あの4人を見た瞬間、ただ漠然と山田涼介は大丈夫と思えた。どんな重圧が掛かろうとそれを支え、時に競い合う仲間が彼にはついている。こんなに頼もしいことはないだろう。
なんだか文章がふらふらしてしまったけど、結局言いたいのはやまちゃんかっけーなー!ということとへいせいじゃんぷはいいグループだなぁ~ということである。私はやまちゃんのモンペではなく、信者になりたいと常々思っている。生で見た私のかみさまは、存外人間らしくて、仲間がいて、かみさまとは程遠い人だと思った。けれど私の心を掴んで離さない歌声は、踊りは、表情は、紛れもなくかみさまの仕業だ。もうあの大きすぎる歓声にも、うちわの多さにも臆することはないだろう。今度は逆に胸を張って言える。絶対エースだ「リョウスケ!」
だって可能性感じたんだ
渡辺くんを見ている時はいつも熱に浮かされているようだ。「これが最後かもしれない」「今しか見ることができない」そんな感情に圧迫されながらいつも必死に双眼鏡を構える。
私が渡辺くんに実質落ちたのはある現場のダンス曲だ。「笑わない」とすのーまんはよく言われる。確かにその時も渡辺くんは笑っていなかった。アップテンポでハッピーな曲調のかわいらしい曲、周りのジュニアが笑顔を振りまきながら踊っているのに、渡辺くんは仏頂面であまり楽しくなさそうに見えた。BBJでの役柄が好きだったから、という至極単純な理由で渡辺くんに双眼鏡の焦点を当てていたが、楽しくなさそうな姿にがっかりし近くで踊るふっかさんに目をやろうとした刹那、渡辺くんがあのふにゃんとした顔で笑ったのである。その時は視界に渡辺くんしかいなかったので、なぜ笑ったのかはよくわからない。でも、さっきまでとは180度違う表情で渡辺翔太は踊りだしたのである。
衝撃だった。元々彼に笑顔のイメージは無かった。少し怖そうで神経質、すぐ怒りそう、といった第一印象。それを覆すようなあの優しい笑顔を、私は一生忘れないだろう。体に電流が走ったような、そんな衝撃が全身を駆け巡り、それをきっかけに私はあれよあれよと渡辺翔太の虜になったのだ。
ギャップ萌という言葉がこの世には存在する。私が渡辺くんに落ちた理由はまさにそれだった。「笑わない」とすのーまんはよく言われる。確かに、アイドルとして笑顔でいるということは最低条件のような気もする。でも、だからといって普段からニコニコ笑っている必要性もないと思う。結局私は渡辺くんが好きだから擁護してしまうけれど、たまに笑うからこそ惹きつけられる人種だっているはずだ。一瞬の表情に心奪われ、執着するのは案外楽しい。
だから私は今日も双眼鏡を構える。いつ変化するかわからない、あの一瞬に出会うために。