Fantasyを始まらせてよ

好きなアイドルの話をします。

君が泣いていないか心配だ

こんな憂鬱な夏の幕開けは、人生で初めてかもしれない。大好きな人の誕生日が別の意味を持ってしまった2018年。

 

ここ最近の感想なのか記録なのか分からないけど、10年後の酒のつまみになればいいなと思って書き記しておくことにする。

 

しんどいと大丈夫を繰り返して、今は割としんどい期に入ってきた。やっぱり映像を見てしまうとダメ。でも見たい、聞きたい。もっともっと7人を見ていたい。

関ジャムのLIFEを聞いたあと、どうしようもなくなって、声を上げてえんえん泣いた。案外なんで、とかどうして、と言った感情は出てこなくてとにかく寂しかったんだと思う。本当にいなくなっちゃうの?なんて実感も分からないまま寂しさに押し潰されていた。

 

私が関ジャニ∞を見ていた時間はとても少ない。大倉担を名乗っていたのは、2010年から2015年頭までの約5年。ましてやここ数年は自担>グループで見ていたので、グループとしての形にはあまり執着していない方だった。*1それなのに。去年行ったジャムはひたすら大倉くん、時々亮ちゃんと真鳥くんというバランスで見ていたのに。大倉くんのいないコンサートDVDがトラウマで、それ以降グループに何の期待も持ち合わせていなかったのに。私は関ジャニ∞のファンではなく、大倉くんのファンだと思い始めていた、のに。

それなのに。こんなことで、自分がいかに関ジャニ∞が好きか、グループを愛していたのか思い知らされるなんて。渋谷すばるの存在の大きさに今さら気付かされるなんて。

 

未だに感情の落とし所が分からなくて、悶々とする日々が続く。「寂しい」という大き過ぎて抗えない感情の他に、好きとか怒りとか色々な感情が生まれては消えていく。それと同時に6人がこれからどうしていくのか、怖くて仕方ないのにどこか楽しみにしている自分もいる。この大きな大きな壁をどうやって打破するのか。期待しているのも事実。

文章にしたらスッキリするのかなーとも思ったけど、特に答えは出ないまま。大事なものは失ってから気付くというのは、正にこのことだった。

 

 

と、ここまでが札幌初日のレポを見る前の気持ち。そしてここからが、それぞれのメンバーの言葉を知ってから書く文章。

 

もうメンバーもオタクも皆しんどいな!?そりゃそうだ。ずっと近くで見てきたメンバーが、深酒してからリハーサルに臨むぐらいなんだから。一介のオタクなんかより、ずっとずっと辛い筈なんだ。

今の彼らはズタボロとしか言いようがない。でもズタボロなりに前を向いて、すばるくんに恥じないグループになろうとしている。怠い もう嫌だ 帰りたい 眠い 暑い 寒い 全部終わらせたい。全部吐き出していいよ。今抱く感情全てに間違いはない。彼ら自身が6人の景色に慣れるまで何年掛かったっていい。渋谷すばるがいたことを、関ジャニ∞であり続けることで証明して欲しい。

 

そして渋谷すばるさん。私はす担ではないから、特別すばるくんを見ていた時間はあまり多くはない。でもすばるくん越しにドラムを叩く大倉くんを見るのが一等好きだった。テレビでコンサートで、何回もその光景を見てきた。曲終わりにすばるくんが後ろを向いて、大倉くんとタイミングを合わせる瞬間が好きだった。それだけ。歌に救われたとか、あの時あの瞬間のとか、大それたエピソードなんてないけど、すばるくんとの思い出はそれだけで充分だ。

でもね。たったそれだけでも、もうそれが見れないと思うだけで寂しいの。そんなすぐに切り替えることなんてできないんだよ。きっとこれはメンバーもオタクも同じだと思う。グチャグチャな気持ちがすっきりすることなんて、もしかしたら一生無いのかもしれない。ただそれでもいい。その胸の痛みがすばるくんを想う気持ちの全てだし、過ごした時間の重さだ。ちょうど高校~専門学校までをエイトに捧げた、私の青春のすべて。

 

今はこの青春の終わりに戸惑い、どうしたら良いのか分からなくなっているけれど、関ジャニ∞の物語も私の人生も終わりではない。まだまだ終わらない。「10年後またここで会おうよ」っていうあの日交わした約束は一生忘れないからな!

 

 

ありがとうなんて言いません。だってすばるくんはどうしようもないバカで、私はどうしようもなくすばるくんが好きだから。

 

大嫌いで大好きな人。これからも頑張ってください。

 

 

 

 

 

*1:錦戸亮に「8人目の関ジャニ∞はあなたです」と言われるまでは